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英会話ができるようになって人生が180度変わったNaomiのプロフィール

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はじめましてっ!

たくさんあるブログの中から当ブログへお越しいただきありがとうございますっ!

 

このブログを運営しているNaomi(@ideinaomi)です。

 

岡山県出身、34歳。第1子を妊娠中です。

現在、岡山市内で「英語で会話が楽しめるBAR」、

英会話BAR Rooftopをしております。

 

オープンして3年が経ち、

たくさんのお客様に支えられながら

「英語で会話をすると楽しいよっ!」ということを広げていっております。

 

夢は日本全国の人と海外旅行へ行くことです(笑)

 

 

英語テスト0点を取ったワタシがお店を開くまで

 

 英語が好きになったのは小学生の時で、NHKでやっていたフルハウスやアルフを見て

金髪で目鼻立ちも自分と違った女の子が日本語じゃない言語を話していることに衝撃を受けたのが始まりです。

 

「同じ人間なのになんで違う言葉しゃべってるの??」って(笑)

 

そこから「英語でしゃべる」という憧れが大きくなっていきました。

 

 

 英語でしゃべる憧れがやまなかった子供時代

 

家族は両親とワタシだけの3人家族。

母は私にピアノ、習字、そろばん、英語と習い事をさせてくれましたが、9年間続けられたのは「英語」のみ。

 

冒頭で述べたように、「他の言語でしゃべる」カッコよさに憧れて台風の日でも風邪を引いても意地で教室に通っていました。

 

そんな私に、小学生の頃、母が「サウンド・オブ・ミュージック」のビデオをくれたんです!

 

マリア先生と子供たちが楽しそうに英語で歌を歌っているのを見て「すごーい!」「かっこいい♡」とビデオテープが擦り切れるぐらい見てました(笑)

 

当時は1991年。小学3年生だったワタシは、ネットなど使えるはずもなく、サウンド・オブ・ミュージックで歌われている歌詞がどうしても知りたくて、ビデオを何回も再生し、カタカナでノートに聞こえたまま歌詞を書いていました(笑)

 

もちろん、めちゃくちゃですがね^^

そして、クラスの友達を集めて、合唱会を昼休みの合間にしてました(笑)

 

ますます「英語で話せるようになりたい!!」という思いが強くなり、日々練習すようになりました。

 

そんな中、ある衝撃なニュースを聞いたのです。

 

 

◆ 父親が有能じゃないからうちは無理

 

ある日、父親の会社の友人がアメリカへ転勤になったのです。

 

「え??なんで?なんで?なんでお父さんじゃないの???」

 

 

海外へ行って英語に触れてみたかったワタシは父親の友人がアメリカ赴任することを聞いてすごく衝撃を受けました。

 

 

「なんでお父さんじゃんないの???」

 

すると、母親はワタシに

「お父さんは大学を卒業してないからよ」って言ったんです。

 

すごくショックでした。

9歳のワタシは、「お父さんは学校に行ってないからアメリカに行けないんだ・・・」って、恨みました(笑)

 

子供ながらにお父さんが仕事を頑張っているのを知ってたし、

おもしろいし、優しいお父さんなのに「なんで?」って(笑)

 

けど、子供ながらにある決意が固まったんです。

「将来、絶対自分の力で海外へ行くチャンスをつかもう!」と。

 

 

◆ 運命が大きく変わった高校生時代

 

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 高校になり、ぶっちゃけ英語は嫌いになってました。

文法は分からないし、先生は嫌いだし。

しゃべれるようになりたいのにテストばかりだし。

 

勉強をしなくなったワタシはついに、英語テストで0点を取ったんです。

 

「あぁ、もうしゃべれるようになるなんて無理だな」と諦めていたワタシに

ものすごく大きなチャンスが舞い降りて来ました!

 

倉敷市姉妹都市青少年派遣生活体験団 募集】

という、張り紙がクラスに貼られており、これを見た瞬間「これだ!!」と思い、張り紙をちぎり、職員室に駆け込みました。

 

行けるのは倉敷市内の高校生たった2人。

 

これを逃しては行くチャンスは二度と来ないと思い、面接では参加したい思いをぶつけ見事合格!!

 

そして、夏休みの2週間を利用して人生初となるニュージーランドクライストチャーチへ派遣されることになったのです。

 

緊張して英語は全く出てきませんでしたが、外国の人と交流する楽しさ、言葉や想いが通じる嬉しさ、人の優しさなどに触れることができた2週間は私の将来の夢を見つけるとてもいいきっかけになりました。

 

 

 

 海外に憧れて入った大学生活

 

 高校生でニュージーランドに行ったことをきっかけに「日本語教師」になりたいとおもうようになり、大学は日本語学科へ進みました。

 

・英語を使う仕事

・日本の文化を伝えれる仕事

・海外に住める仕事

 

この3条件がワタシに学ぶ意欲をもたらしたのです。

 

しかし、実際、大学に入って何をしたか?

「バイト」と「海外旅行」の4年間(笑)

 

お金を貯めては休み中に海外旅行へ行き、憧れを強くする一方で、勉強についていけず、卒業はできたものの「ギリ」の成績。

 

友人たちは就職を決めていく中、私は「OLにはなりたくない、海外に住みたい」という思いが強くなりました。

しかし、時は大学4年生夏。卒業するまであと半年。どうしていいのか分からず途方に暮れ、とりあえずバイトだけしてお金だけ貯めとこうと思い、毎日バイトばかりしていました。

 

そんな中、またもやチャンスが!

 

在学中の大学に「日本語教師アシスタントプログラム」があることをすっかり忘れていたワタシ。

 

日本語学科過程を修了した生徒はオーストラリア・メルボルンに1年間アシスタントとして行けるプログラムがあったのです!

 

「これは行くべき!」とまた思い、早速応募し、見事合格!

 

 

大学を卒業し、2005年4月からメルボルンに行くことになったのです。

 

 

 

イジメ、差別、言葉の壁のオーストラリア3年間

 

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オーストラリア行きを決めて、両親に報告したのは渡豪2週間前。

どうせ反対されると思い、ギリギリまで言わなかったワタシ。案の定、呆れられ、「決めたのならしょうがないね」という半分諦めモードの親をしり目に、メルボルンへ飛びました。

 

英語レベルは中学生以下。「Hello」「How are you?」しか分からないワタシが派遣されたのはメルボルン都市部から車で50分程離れたあまり裕福ではないエリアの田舎町。

 

在任の日本人の先生は週2回しか来ず、英語できないし、日本語が分かる先生もいない。子供たちとも会話がままらない状態で日本語クラスを受け持つことになりました。

 

 

当時22歳のワタシ。優しい子はワタシに英語を教えてくれたり、心優しく接してくれたりしたのですが、一方で相手は子供。

 

大人なのに英語ができない、言葉が通じないワタシをバカにしたり、意地悪をしてくる子もいました。

 

「ナオミは何を言っても理解してないから言っても無駄!」

「うるさい!黙れ!」

「触るな!バカ!」

 

と暴言を吐いた子もいました。

 

 

22歳の大人。10歳にイジメられる(笑)

 

 

しまいには、ホストマザーから家を追い出されました。

 

街に出れば、

「Fu〇k! Asian!」と突き飛ばされたり、言葉が通じないからと言ってサービスをちゃんとしてもらえなかったり・・・笑

見知らぬ男性に家に連れていかれそうになったり・・・笑

 

まぁ、散々でしたが、それはそれでいい経験になったと思っています。

 

おかげで精神的にも強くなりましたし、

言葉が通じないつらさ、人種差別などに対して壁がなくなったのでどんな人間も受け入れらる心の広い人になったと思っています。

 

 メルボルン生活2年目&3年目

 

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1年間のアシスタント生活を終え、リスニング力と語学力が上達してきたワタシは、せっかくだし、このまま帰国するわけにはいかないと思い、語学学校へ通うことにしました。 

 

はじめは家が決まらず、友人の家を転々としながら通っていました。お金もなかったし、贅沢することはできませんでしたが、毎日が刺激的でしたし、すべてが目新しくて毎日が楽しくてしょうがなかったです。

 

学校に通うようになり友人もでき、1年目と全く違う生活に慣れ親しんでいたころ、

ある日、泥棒に入られたのです。

 

 

正直、ビビりました。

 

ドアを開けると、いつもと違う雰囲気。

ふっと見ると、私のパソコン(しかも買って1か月)、パスポート、お金、カメラが全部盗まれていました。

 

パソコン、カメラは別によかったのですが、母が一生懸命働いて仕送りしてくれたお金が盗まれたのが悔しくて悔しくて・・・。

 

幸いなことにパスポートは見つかりましたが、そのほかは返ってこず・・・。

異国の地で何もできない自分の不甲斐なさを痛感した出来事でした。

 

 

その後、自分でマンションを借り、シェアハウス人を募り、仕事をし、自分の手で生活するようになり楽しい日々が続きました。

 

一番の思い出は「メルボルンde cafeろう会」というコミュニティーを作ったこと。

はじめは友人数人で始めたイベントですが、私が帰国するころには毎回20~30名集まる大きな会に成長していました。

 

あっという間の3年がすぎ、4年目をどうしようかと考えたときあることを思ったのです。

 

 

「海外に住みたい」という夢は叶った。ただ、ここで生活し、なんの目的もないのであればメルボルンに残る必要がない。次のステップに進もう。

 

 

夢の一つであった「海外生活」が叶った今、残る理由も特になかったので次は「起業」するために帰国して準備をしようと思ったのです。

 

 

帰国。そして、日本の生活に葛藤

 

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 帰国し、某英会話学校の講師となった私。正直、お金のためにやりました。帰国したばかりの自分は何をしたいのか分からなかったし、とりあえず生活をしなきゃと思い得た仕事先。

 

しかし、メルボルンの生活に比べて全く刺激がなくなったワタシはすぐに仕事に魅力を感じなくなってしまい、日々憂鬱。

 

そんな時、まさかの会社倒産!!

 

一瞬にして仕事を失った私はこれはチャンスだと思い、自分で仕事をしようと化粧品販売に乗り出したのです。

 

 

 全くうまく行かなかった化粧品販売

 

 

ビジネスのビの字も知らなかったワタシ。流れに任せてとりあえず無我夢中でやってはみてみたもののうまく行かず、鳴かず飛ばずの成績。

 

心の中では「大丈夫!」と信じていたものの、周りからの目線や自分の不甲斐なさに負けてしまい結局、辞めることに。

 

 

しかし、この時に作った人脈の輪がお店を出すきっかけになったです。

 

 

英語を教えたかった訳じゃない

 

英会話講師を辞めて3年、英語から離れていた私は再び英語で身を固める決意をしたのが、「10人無料で10回レッスンします」企画でした。

 

なんだかんだ言って、やはり自分には英語以外何もなく、そしてその他特に得意なこともなかったのでとりあえず自分のデキることをしよう!と思い、することにしたこの企画。

 

化粧品販売で人脈を広げていた私は、facebookで告知し、あっという間に10名満席になりました。

 

みなさんが、シェアしてくださったおかげで「なおみちゃんは英語ができる」というイメージ作りもできホントに感謝しております。

 

 

この企画を通して、分かったことがあります。

それは『英語がめちゃめちゃ大好きで教えたいわけじゃない』ということ。

 

 

英語で会話をするのは好きです。

子供のころからこれからの時代英語で会話ができて当たり前だと思っていた分、話せるようになって考え方や人生が変わりました。

 

英語教授をすることで、生徒さんが上達していくのを見るのも楽しいです。

 

しかし、TOEIC満点、英検1級、英語マニアの方に比べて自分の好き度は下回っているし、常に単語などを覚えようと思っているわけでもない。

 

そう思うと、「英会話講師でやっていく」という強い決心にはどうしても至らなかったのです。

 

 

◆ 自分の好きなことが見つけれなかった私が見つけた「夢」

 

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そこで、自分はどうして英語を辞めたくないんだろう?と考えたとき、オーストラリアでの経験が大きかったことに気づいたのです。

 

英語でしゃべれるようになったのは「楽しかった」から。

テキストの上で学ぶよりも、実践でネイティブスピーカーと冗談を言ったり、今日あった出来事を伝え、反応がすぐもらえたから上達したんだ、と。

 

そして、英語でしゃべれるようになり、性格が分かり輪が広がり、人生のチャンスをつかんだ。

 

自分が作った輪を通じて開催した、メルボルン de cafeろう会を開いたとき、英語という共通なことを通じで他の人も同じように輪が広がり、様々なチャンスをつかんでいく姿をみると嬉しくてしょうがなかったのです。

 

そう、『誰かの人生のきっかけ作りの場をしていきたいな』と思うようになり、

そこで、思いついたのは『英語で会話が楽しめるBAR』という、飲食店でした。

 

 

 

英会話BAR開業、そして、発信したいこと

 

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 2013年12月、小さいころからの夢でもあった自分のお店を持つことが叶った日。

岡山県岡山市にたった10坪の「英会話BAR Rooftop」を開業しました。

 

ステキなお客様とご縁に恵まれ開業9か月目で借金を返済でき、以降黒字経営を続けております。

 

日々、Rooftopで英語に触れる楽しさやしゃべれる喜びを通じてお客様同士で出会いがあったりするのを見ると本当にうれしいです。

 

 

ワタシの想いを通じて固定概念に縛られず、場を通じて自由に自分の人生設計をしていただければとてもうれしく思います。

 

今、私は35歳にして第1子を妊娠中です。

子供にも言葉が通じる楽しさや、喜びを伝えていきたいと思っています。